[謎] AIWA TPR-101はなぜ国産初・世界初のラジカセといわれるようになったのか?

2020年9月13日

前回、AIWAのラジカセTPR-101は時系列(発売時期)で見ると
世界初でも国産初でもなかったことをお伝えしました。

[衝撃] 世界初・国産初のラジカセはアイワのTPR-101ではなかった!!

今回は、「なぜTPR-101は国産初・世界初の
ラジカセといわれるようになったのか?」を
検証してみたいと思います。
少し長くなりますが、おつき合い下さい。

出典が明記されていないウィキペディアの情報

まずは、検索で「ラジカセ」と入れて
上位に出てくるのは、ウィキペディアの記事ですね。

Wikipedia: ラジオカセットレコーダー

こちらには、こんな風に書かれています。

ラジカセの歴史はラジオ付きテープレコーダーにまで遡ることができる。日立製作所が1963年にオープンリール式テープレコーダーにトランジスタラジオを搭載した日立ベルソーナ三九八がトランジスタラジオを組み込んだものとしては国内初の商品である。しかし真空管ラジオまでを含めると、1961年かそれ以前からテープレコーダーの複合機として複数社から市販されていた。 その後、1968年に国産初のアイワ製TPR-101[2]が登場し、1970年代には各家電メーカーが相次いで商品を投入した。

ネットの記事は後でいくらでも変更できるので、
証拠を残す意味でキャプチャ画像を掲載しています。
以下、明記しているところ以外は2017年7月時点での情報です。

しかし、ウィキペディアの記事にはTPR-101が国産初の
ラジカセである証拠、つまり出典が書かれていません。

では、この部分は誰が書いたのでしょうか。
ウィキペディアには履歴表示という機能があって、
どんな人がどのような形で編集したかが記録として
残されています。

どの段階でこの部分が追加されたか遡ってみると……
2009年6月4日とありました。

編集した人は「221.119.53.232」とあります。
これはIPアドレスで、IPドメインサーチを使って調べたところ、
DION (KDDI CORPORATION) から書き込まれたもののようです。

次に、ウィキペディアの「アイワ」の項目を見てみましょう。

Wikipedia: アイワ

こちらは、2013年7月13日に国産初の文言が追加されています。
114.49.12.109というドメインから書き込まれたようで、
SoftBank Corp. とあります。
こちらにも、出典は書かれていません。

結局、ウィキペディアの情報は、誰が書き込んだのは
分からないということになります。

ウィキペディアに書かれている内容には、
必ずどこかに出典元があるはずです。
それが明記されていない上、
誰が書き込んだのかも分からないので、
信憑性はかなり疑わしい、といわざるを得ません。

しかし難しいのは、ウィキペディアには
出来事の年月日などの正しい情報も掲載されていること。
つまり、玉石混淆の状態になっているのです。
その情報が正しいか否かは、別の資料などを調べるなどして、
きちんと裏を取らなければならないということになります。

次に、ラジカセ本の先駆けである『ラジカセのデザイン!』を
見てみましょう。こちらは2009年11月10日に発売されていますが、
そのときはTPR-101は掲載されていませんでした。
増補改訂版(2016年4月25日、立東舎)が出版されたときに追加されています。
TPR-101の解説(P.4)には、

「日本初=世界初」の記念的ラジカセ。

とあります。
ただし『ラジカセのデザイン!』では国産初を発売時期ではなく、
「後世のラジカセに大きな影響を与えた初めてのラジカセ」
という意味で用いています。

国産初のラジカセはAIWAから誕生した。
その時のレイアウトが後々の各社のラジカセレイアウトに生きている(増補改訂版P.10)。

と書かれているので、この点には留意する必要がありますね。

また、アイワが今年の秋にブランドとして復活する、という
タイムリーなニュースもきこえてきました。
そのニュースでも、こんな風に書かれています(朝日新聞、2017年6月29日より)。

日本初のラジカセなどオーディオ機器で知られた「aiwa(アイワ)」ブランドが復活する。─中略─製造は中国の工場に委託し、国内の家電量販店や総合スーパーで販売する。

そして、TPR-101の写真に書かれたキャプションも同様でした。

【写真】旧アイワ製の日本初のラジカセ「TPR-101」(1968年発売)。ロゴは「aiwa」に変更する前の「AIWA」が使われている

かつて公式サイトでTPR-101を日本初と喧伝していたアイワ

もう少し時代を遡ってみましょうか。
今は亡きアイワの公式サイトをたぐってみてみると、
アイワ自身が「日本初」のラジカセとして
TPR-101を紹介していました。
こちらは1998年12月12日時点での
「歴史博物館<1968年>」掲載の情報です。
Wayback: アイワのウェブサイト(1998年当時)

ここまで見たところ、アイワの公式ウェブサイトで
TPR-101を日本初、と紹介していたことが判明しました。
メーカーが自ら公表しているのだから、本当のことだろうという
お墨付きが与えられたような印象ですね。

産業技術史資料データベースにも国産初と明記

国立科学博物館が運営する
「産業技術史資料センター」内にある
「産業技術史資料データベース」というサイトでは、
さまざまな機種が簡単に紹介されています。
その中で、TPR-101は「国産初」と謳われていました。

ラジオ付きカセットテープレコーダー(ラジカセ) TPR-101

これはいつ掲載されたかは判然としませんが、コピーライトの年から
考えると、2012年以降である可能性が高いです。

TPR-101=国産初と定義したのはアイワの阿部久郎氏ではないか?

産業技術史資料データベースには、調査機関団体として
「社団法人日本オーディオ協会」の名前が記載されていました。
この情報を手がかりに、調べてみると面白いことが分かりました。

日本オーディオ協会は1952年に発足した組織で、

「豊かなオーディオ文化を広め、楽しさと人間性にあふれた社会を創造する」の基本ビジョンに沿って、オーディ オとオーディオビジュアルに関連する法人会員および個人会員が力を合わせ、伝統あるオーディオ文化を守りつつも、技術進歩と消費行動を踏まえた新しい文化 と市場創造を行っています。

とあります。
日本オーディオ協会について

学術誌と一般オーディオ雑誌の中間的技術情報誌を目指した
「日本オーディオ協会誌」と協会誌の補完として
協会活動報告を中心とした「JAS Report」を統合した
「JAS Journal」が1979年から発刊されています。

JAS Journalは2016年6月以降は一般にも公開されていますが、
古いものは非公開となっています。
その中で唯一閲覧可能なのが、2012年に発行された
Vol.52 No.3です。

JAS Journal 2012年Vol.52 No.3

その中で、阿部美春氏が「テープ録音機物語」 という
連載をされており、「その64 カセット(2)」で
AIWAのTPR-101を取り上げています。

阿部美春氏といえば、知る人ぞ知る
テープ録音機の権威です。

ウィキペディアに情報がないので、
JAS Journalの情報をもとに簡単にご紹介しましょう。

阿部美春氏は1951年辺りのオープンリール黎明期から
日本電気音響の現場に酸化し、電気回路計の設計や品質管理、
標準化渉外などを担当されてきました。

1957年4月に設立間もないTEACに移り、
ステレオテープデッキ、ステレオカセットデッキ等を
開発してテープステレオ時代の基礎を築きました。

「テープ録音機物語」を遺した阿部 美春さん

書籍も出しており、1960年代末頃のカセットテープ
黎明期には雑誌などでカセットテープの比較などを
担当されていました。

その阿部美春氏がTPR-101を国産初と位置づけていました。
興味深いのは、出典として阿部久郎氏の原稿を
挙げていたことです。

阿部久郎「最近のラジオ付カセット・レコーダー」
JAS ジャーナル(1981-05)

つまり、1981年の段階でアイワの阿部久郎氏が
TPR-101を国産初と位置づけていたことが判明したわけです。

これより古い記述に関してはさらに資料を調べる必要がありますが、
ここまで判明したことをおさらいしておきましょう。

1981年5月:アイワの阿部久郎氏が、
日本オーディオ協会のJASジャーナルに寄稿した
「最近のラジオ付カセット・レコーダー」で
TPR-101を国産初のラジカセと位置づける

1998年12月頃:アイワの公式サイトで、
TPR-101を「日本初」のラジカセとして紹介

2009年6月:ウィキペディアの
「ラジオカセットレコーダー」の項目に
国産初のラジカセとしてTPR-101が追加される

2012年〜:
阿部美春氏がJASジャーナルで阿部久郎氏の原稿を引用し、
TPR-101を国産初のラジカセと紹介
産業技術史資料データベースに
国産初のラジカセとしてTPR-101が紹介される
2016年4月:『ラジカセのデザイン!(増補改訂版)』の解説で
TPR-101が「日本初=世界初」と紹介される
(ただしこの本では発売時期ではなく、後世に影響を与えたという意味で用いています) 

このように、情報の出本は「アイワ」自身で
あったことがわかりました。

メーカーが自分で宣言しているのだから、
正しい情報だろうと考えてしまいますよね。
そしてこの情報が引用され続けていくうちに、
アイワ自体が消滅(当然国内の公式サイトも消滅)、
出本が次第にどこだか分からなくなり、
次第に「TPR-101=国産初」という言説が
一人歩きしてしまったようです。

メーカーが宣言していることであっても、
本当であるか否か批判的に検証していく、
メディアリテラシーの必要性を痛感した出来事でした。

※追記
情報の出本は「アイワ」自身で、その張本人は
常務だった阿部久郎氏だと思い、
JASジャーナルを調べてみたところ、
驚くべきことが分かりました。

[驚愕] アイワの常務・阿部久郎氏はTPR-101を「国産初のラジカセ」とは定義していなかった!!

(関連リンク)
私が編集・執筆を担当した『ニッポンラジカセ大図鑑 1967-1988』本日発売!!
[衝撃] 世界初・国産初のラジカセはアイワのTPR-101ではなかった!!
『ニッポンラジカセ大図鑑』がアマゾンのオーディオ・ビジュアル売れ筋ランキングで1位を獲得!

(amazon)

(楽天)

◆◆ニッポンラジカセ大図鑑 1967− / スタンダーズ
価格:1979円(税込、送料別) (2017/6/30時点)

Follow me!