[驚愕] アイワの常務・阿部久郎氏はTPR-101を「国産初のラジカセ」とは定義していなかった!!
以前のエントリーでも、国産初のラジカセは
アイワのTPR-101でないことは解説してきました。
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[衝撃] 世界初・国産初のラジカセはアイワのTPR-101ではなかった!!
[謎] AIWA TPR-101はなぜ国産初・世界初のラジカセといわれるようになったのか?
「[謎] AIWA TPR-101はなぜ国産初・世界初のラジカセといわれるようになったのか?」では、
阿部美春氏がJASジャーナルで阿部久郎氏の原稿を引用し、
TPR-101を国産初のラジカセと解説したところまでは明らかにできました。
そこで実際のところはどうなのか、
実際に阿部久郎氏の該当記事を確認してみました。
出典は以下の通りです。
阿部久郎 1981「最近のラジオ付カセットレコーダー」
『JAS JOURNAL』Vol.21 No.5 日本オーディオ協会発行
では、冒頭部分を引用してみます。
はじめに
昭和40年4月、カセット・レコーダーの国産第1号機がアイワから発売されて以来16年、あの小さなコンパクトカセットが、今ではオーディオ機器の中心に存在するようになった。
ここで国産第1号機と定義されているのは、
アイワから発売された「ラジカセ」ではなく、
ラジオが付いていない (カセット)テープ・レコーダーのことです。
型番は書いてありませんが、TP-707Pのことだと思われます。
ただ、発売年が間違っていますね。正確には昭和41年でしょう。
阿部美春氏の「テープ録音機物語その63 カセット(1)」
(JAS JOURNAL 2012 Vol.52 No.3)によると、
フィリップスが日本のメーカーへの呼びかけを開始したのは
昭和40年末になってからであること、
そしてフィリップスのEL-3301が三越で初めて
発売されたのは昭和40年5月であることから、
昭和40年に発売することは到底考えにくいからです。
阿部美春氏の記事では、TP-707Pの発売年月は
昭和41年6月とされています。
また、「週刊プレイボーイ」の創刊号(昭和41年11月15日号)には、
このTP-707Pの広告が掲載されていることも
昭和41年発売という証拠の一つといえるでしょう。
では、阿部久郎氏が書いた次の段落を引用してみましょう。
ラジオ付カセットレコーダーの導入期とステレオセットの出現
昭和42年頃からそろそろ実用期に入ったカセットレコーダーに、一つの転機がきた。それは、テープも含めて性能の向上と、FM放送の全国への普及と相まって、今でいうエアチェック時代の幕開きである。すなわち、テープレコーダーとラジオ受信機のコンビネーションの出現であった。──中略──
……カセットレコーダーのメカニズムの専有面積は、オープン式のものに比べてかなり小さく、しかも、演奏時間、録再特性ともに、ひけをとらなくなってきた事情を背景に、多少オッカナビックリではあったものの、カセットレコーダーと3-Bandラジオとのコンビネーションが出現した。アイワのTPR-101がそれである。昭和43年3月のことであった。
そして、TPR-101の画像の下にはこんなキャプションが付いていました。
写真1 ラジオ付きカセットレコーダー1号機(アイワ TPR-101)
ただし、阿部久郎氏のこの記事には大きな謎があります。
それは、この文章と写真のキャプションを見ると、
TPR-101が国産初のラジカセであるのか、
それともアイワ初のラジオ付カセットレコーダーを
意味しているのか、判然としないのです。
阿部久郎氏が意図的に情報操作をしようと思ったのか否かは、今となっては分かりません。
他社の国産ラジカセの1号機のことを知らなかった可能性もありますが、
ラジカセの開発にしのぎを削っていた当時、他社の動向にも鋭く目を光らせていたはず。
厳格に「国産初のラジカセ」とこの記事で定義していないのは、
他社のラジカセの方が先に発売されていたことを
知っていないのではないかと穿った見方もできるわけです。
ですので、ここからは私の推測になりますが、
阿部久郎氏は自分の会社であるアイワをよく見せようとして、
このような表現をしたのではないかと考えられます。
この記事では様々な機種が紹介されていますが、
写真付きのはほとんどがソニーとアイワのもので、
他社のものは松下電器のR-500のみでした。
こうした点から考えても、
自社をよく見せようという意図が強く感じられます。
しかし、このような形で書かれていると、
アイワのTPR-101が国産初のラジカセである、と
錯覚してもおかしくはありません。
こうしたことから、後になってアイワのウェブサイト
(現在のものとは異なります)で国産初と書かれたり、
阿部美春氏にも同様に言及されたりして
TPR-101が国産初のラジカセである、と
勘違いした人々によってこの言説が
どんどんと補強され、
確立していった可能性が高いと思われます。
これまで分かったことをまとめると、
次のようになります。
1981年、アイワの阿部久郎氏がJAS JOURNALに
ラジカセの記事を寄稿。
TPR-101については国産初とは言明しないが、
そのように受け取れるような文章を書く
↓
1998年頃、アイワがホームページで
TPR-101を国産初のラジカセと記載
↓
2012年、阿部美春氏が
阿部久郎氏の記事をもとに
TPR-101を国産初のラジカセと解説
↓
以下、Wikipediaへの記載など
誤解の連鎖……
阿部久郎氏の罠に、まんまと
はまってしまったというのが実情のようです。
阿部久郎氏は、読者に勘違いさせることを
期待していたのでしょうか。
「私は悪くない。悪いのは勘違いしたあなたたちの方だ」
といわれそうですが……。
ここで話は変わりますが、
実は、アイワに関してはもう一つ日本初について
疑問があるんですよね。
それが、日本初のステレオカセットデッキは
アイワかティアック(TEAC)か、ということです。
アイワは、TP-1009を昭和43年に発売しています。
一方、ティアックは自社のウェブサイトでA-20が国産初の
ステレオカセットテープデッキであると解説しています。
こちらも昭和43年の発売です(画像はTEACのウェブサイトより引用)。
出典:The History of Recording & Sound A-20 国産初のカセットテープデッキ
阿部美春氏は、上述の出典の中で、日本ではアイワのTP-1004、
日本コロムビアのTRC-160(ともに昭和42年発売)と続き、
A-20を「わが国における本格的なカセットデッキの第1号となった」と解説しています。
TP-1004とTRC-160はともにパワーアンプを内蔵しています。
そのため、現在では一般的な「アンプを搭載していない」という意味で、
A-20を本格的なカセットデッキの第1号としているのだと思います。
ただ、TP-1009とA-20は同じく昭和43年に発売されているので、
どちらが先か気になりますね。
時間に余裕ができたら、こちらも少し調べてみたいと思いますが……。
現在、国産初と考えられているラジカセが掲載されていますよ。
お見逃しなく。↓
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◆◆ニッポンラジカセ大図鑑 1967− / スタンダーズ
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コメント一覧
日本で最初のカセットデッキはアイワかティアックか、についても調査されていました。
アイワ、国産初のステレオカセットテープデッキ TP-1009を発売 記事全文 – 電波新聞1968年3月28日15面
https://aiwa.5volt.jp/denpa-sinbun_19680328-p15_aiwa_tp-1009_release/
これは間違いなくアイワのほうが先に発売していますね。
JASジャーナルの阿部美春氏の記事も調査不足で間違っていたことになります。
阿部美春氏、けっこう間違いが多いと思いました。
阿部美春氏、「アイワ博物館」でも資料として取り上げられている「電波価額1968-1臨時増刊」でも2本、原稿を書いているんですよ。ワウ・フラッターとリバース機能についてなんですけど、どこまで信用していいものなのか怪しくなってしまいますね。あと、こうやって色々と資料が出てきて議論が活発になるのはとてもよいことだと思います。今のところ、軍配はアイワに上がったといえそうです(ただ、他のメーカーから先にカセットデッキが出ていた可能性もまだ否定できないところではありますが……)。