クリスマスやバレンタインをなくすために必要な、たった1つの心構え

毎年、年末や2月辺りになると恒例の
クリスマスとバレンタインイベントが発生します。
テレビやネット、商店街、人が集まる場所でも
ニュースや目玉商品、関連イベント、イルミネーションなどで
お客さんを呼ぼうと必死になってますね。

その動きに呼応するかのように、反対派の動きも活発化します。
「クリスマス/バレンタイン中止のお知らせ」
なるネタ情報をネット上でばらまいたり、
クリスマス反対のデモをしてみたり、
ネガティブキャンペーンを展開してみたりと
恋人と過ごしている人(いわゆるリア充)と
非モテの人々とのせめぎ合いが見られるわけです。

でも、こうした反対派やパートナー(恋人)を二次元に求める
動きっていうのは、クリスマスやバレンタインをなくす
という目標を全く達成できず、かえって逆効果なんですね。
感情論になりやすいので、別のたとえで考えてみましょう。

近年では「若者の○○離れ」が顕著、とよく言われています。
中でも「自動車離れ」は深刻といわれ、
若者で車が好きでたまらない、といった人は余り見かけません。

逆に、中高年はいつまでも車の話をしている人が多く、
数年おきに買い換えるのが趣味になっている人がいるほど。
私の知っている人でも、もう10台近く乗り換えてる人や、
車はフィットに乗っているのにやたらといろんな車種の
データとか、試乗してこうだったとか、ああだったとか
議論をしている人もいます。

そうなると、
中高年「最近の若者はなんで車を買わないんだ。カッコイイのに」
若者「金がない」
中高年「俺たちが若い頃は無理してローン組んで買ったんだよ」
若者「……」
と、せめぎ合いが始まります。

この図式には、車を持っている人、持たざる人の2種類に分かれ、後者の中には持ちたいけど何らかの理由があって持てない、そもそも興味がないの2種類に大きく分かれます(年齢は除外して考えます)。

このエントリーを読んでいるあなたが車を持っていない人だと仮定して、持っている人に「車持っていないの? いろんな所に行けるし、デートにも使えるし、使ってみると人生変わるよ。どうして買わないのかなぁ。かわいそうに」と言われたら、どう感じますか?

カチンと来たり、「ふざけんな」と思った人。
あなたは、車を持っている人と同じ穴の狢です。
それはなぜか?
こういうことを言われて頭に来る人は、無意識のうちに
「車を持っている人の価値観を共有している」んですね。
どういうことかというと、
車を持っている人の価値観はさまざまではありますが、

・車はステータス!
・周りに自慢できる
・車があればいろんな所へ行ける、便利
・デートに利用できる
などがあると思います。

こういった価値観を「よいものだ」として
受け入れてはいるけれども、
経済的な事情などから購入できない。だから
車を持っている人からいろいろ言われると頭に来るわけです。

つまり、価値観を共有しているからこそ、
持っていないことを指摘されると頭に来るんです。

では、興味がないと言った人はどうか。
「だから何?」といった冷ややかな反応になります。
こうなるのは、車を持っている人の価値観を
そもそも共有していないから頭に来ないんですね。

実は車離れの本質は、長引く不景気によって
買いたくても買えない人が増えていることも
大きな要因としていつも取り上げられています。
しかし、車関係の人が本当に
危機感を持たなければならないのは、
車を所有し、運転するということに対する価値観を
「共有しない人が増えている」ことなんです。

昔、車関係の仕事に携わったことがあるんですが、
関係者はみんな車を運転する、もしくは車が好きである
ことが当たり前になっていて話が進んでいくんです。
だから、車に興味がない人は眼中にすら入っていない。

これからさらに高齢者が増えて今の中高年が
車を運転できなくなり、車に興味がない若者が中高年になると
どうなるか。今まで以上に車は売れなくなり、
国内の自動車産業は衰退の一途をたどることでしょう。

実はクリスマスやバレンタインのせめぎ合いも、これと
まったく同じなんですね。
何が同じなのかというと、「価値観の共有」という点です。

つまり、恋人とクリスマスをエンジョイしている人、
恋人がいなくて反対活動をしている人、
二次元の恋人と一緒にクリスマスを過ごしている人、
実はみんな同じ価値観を共有している同じ穴の狢なんです。
せめぎ合いの焦点は、ズバリ「恋人がいるかいないか」。

クリスマスでは恋人と一緒に食事をしたり、
イベントやパーティに参加したり、
ホテルに行ったりすることがよいのだ、という
価値観を共有しているからこそ、恋人がいない人は
いる人から「恋人いないの? かわいそうに」と
言われるとムカつくし、落ち込みもします。
かといって、二次元の恋人がいる人も、
ケーキを買ってきてお祝いするなど、やっていることは
三次元の恋人がいる人と同じことなんですね。
ただ、三次元の恋人がいるかいないかが
せめぎ合いの最大の焦点になっているので、
恋人がいる人に「そういうのはちょっとね……」と
言われると、言われた方はカチンとくるわけです。

先ほどの図の文章をクリスマスに置き換えると、
見事に当てはまることが分かると思います。

では、本当にクリスマスやバレンタインをなくしたいと
思っているならどうすればよいか。
それはただ1つ。
「クリスマスやバレンタインの価値観を共有しないこと」です。

では、具体的に何をすればよいのかというと、実に簡単。
「何もしない」が正解です。
1日を淡々と過ごせばよいのです。

価値観を共有しなければ、かわいそうにと言われても
カチンと来ることもないし、自然と興味や関心が薄れてくるので
こうしたイベントの情報をあさることもなくなり、
時間やお金を使わなくて済むようになります。
こうした考えを持った人が10人、100人、1000人と
増えてゆけば、こうしたイベントは衰退していきます。

考えてみても、世の中には
クリスマスでも働いている人、病気で寝込んでいる人、
そもそも興味がない人、いろいろいるわけですから。
人がつくった慣習であれば、
人の意識で変えることもできるはず。

でも、なかなかそううまくいかないのが世の常。
なぜなら、こうしたイベントで金を稼いでいる人が
ごまんといるからです。
考えてみても、ホテル産業、外食産業、テレビ、
花屋、ケーキ屋、イベント屋など多岐にわたる
産業がこういったイベントで飯を食っています。
だから、手を変え品を変え購買意欲をあおろうとするわけです。

例えば、バレンタインでは日本独自の「ホワイトデー」が
つくられたり、近年では企業でのセクハラなどが
問題となると、女性の友人同士にチョコを贈る
「友チョコ」を始めたりと、あの手この手で
お金を使わせようとしています。
さらにマスコミやテレビの宣伝などもあって、
なくすのはなかなか一筋縄ではいきません。

それから大事なのは、
「価値観を共有しないこと」を他人に強要しないこと。
これは自分の考え方やスタンスであって、
他人に押しつけるものではないからです。

それと、意固地にならないこと。
このエントリーでは、クリスマスやバレンタインを
悪いことのように扱っていると読めるかもしれませんが、
楽しみたい人は楽しめばいいし、
参加できる機会があって興味があればすればいい。
死ぬまで絶対に関わらないんだ、と考えていると
疲れてしまいます。
必要ないと感じたら価値観を共有しなければいいんですよ、
というだけの話なのです。

追記
このエントリー書いていて思いだしたのが
このレコードです。12インチサイズです。懐かしい。

今から30年ほど前に大ヒットした
「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」は
いかに西欧諸国の価値観が反映されていたか、
ということが如実に分かってきます。

「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」は、
イギリスのポップスターたちがエチオピアの飢餓に対して
一同に集まり、ボブ・ゲルドフとミッジ・ユーロの曲を
レコーディングしてチャリティレコードとして発売、
大成功を収めたことで、翌年にはアメリカで
USAフォー・アフリカが立ち上げられ、
マイケル・ジャクソンやスティーヴィー・ワンダーらが
「ウィー・アー・ザ・ワールド」を歌うことになる
きっかけとなりました。

参加ミュージシャンはフィル・コリンズ、
ボノ、ボーイ・ジョージ、スティング、
ジョージ・マイケル、ポール・マッカートニー、
デヴィッド・ボウイと錚々たるメンバー。
その後、1989年、2004年、2014年に
メンバーを変えて何度もレコーディングされています。

ヒットの要因はさまざまですが、
このエントリーとの関連でいうならば
クリスマスの価値観を共有している西欧諸国や
日本などの先進国に対してレコードを売ったことです。
この価値観が共有されていない国に売っていたら、
絶対にヒットしなかったはずです。

海外でのクリスマスの価値観は日本と全く同じではありませんが、
家族や知人などとゆっくり楽しく過ごす、という意味合いがあります。
そんな時期なのに、エチオピアでは飢饉で人が死んでいる。
歌詞を少し引用すると、こんな感じです。

悲惨な運命の響き
そう、それが自分ではなく彼等(=エチオピアの人々)
だったことを神に感謝しよう

クリスマスの季節でもアフリカに雪は降らない
今年彼等が得る最高の贈り物 それは生命
不毛の地
雨は降らず 川は干上がる
クリスマスが近づいていることを
彼等は知っているのだろうか?

冷静に考えると、
飢饉が自分たちでなくエチオピアの人たちに
降りかかってくれて良かったとか、
生きるか死ぬかの瀬戸際なのに
クリスマスも糞もないだろ、という感じになるんですが
そうはならなかったんですね。
というのも、このレコードを聴いて
「そうだそうだ」と思ったのは
クリスマスの価値観を共有している西欧諸国の
人々だったからです。

ジャケットには、飢えてハエがたかっている
アフリカの子どもたちに対して、
西欧諸国の白人たちはクリスマスを楽しんでいるという
酷い対比でアフリカの貧しさを強調しています。

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