[驚愕] アイワの常務・阿部久郎氏はTPR-101を「国産初のラジカセ」とは定義していなかった!!

2019年2月23日

以前のエントリーでも、国産初のラジカセは
アイワのTPR-101でないことは解説してきました。

(関連記事)
[衝撃] 世界初・国産初のラジカセはアイワのTPR-101ではなかった!!

[謎] AIWA TPR-101はなぜ国産初・世界初のラジカセといわれるようになったのか?

「[謎] AIWA TPR-101はなぜ国産初・世界初のラジカセといわれるようになったのか?」では、
阿部美春氏がJASジャーナルで阿部久郎氏の原稿を引用し、
TPR-101を国産初のラジカセと解説したところまでは明らかにできました。

そこで実際のところはどうなのか、
実際に阿部久郎氏の該当記事を確認してみました。
出典は以下の通りです。

阿部久郎 1981「最近のラジオ付カセットレコーダー」
『JAS JOURNAL』Vol.21 No.5 日本オーディオ協会発行

では、冒頭部分を引用してみます。

はじめに
 昭和40年4月、カセット・レコーダーの国産第1号機がアイワから発売されて以来16年、あの小さなコンパクトカセットが、今ではオーディオ機器の中心に存在するようになった。

ここで国産第1号機と定義されているのは、
アイワから発売された「ラジカセ」ではなく、
ラジオが付いていない (カセット)テープ・レコーダーのことです。
型番は書いてありませんが、TP-707Pのことだと思われます。
ただ、発売年が間違っていますね。正確には昭和41年でしょう。

阿部美春氏の「テープ録音機物語その63 カセット(1)」
(JAS JOURNAL 2012 Vol.52 No.3)によると、
フィリップスが日本のメーカーへの呼びかけを開始したのは
昭和40年末になってからであること、
そしてフィリップスのEL-3301が三越で初めて
発売されたのは昭和40年5月であることから、
昭和40年に発売することは到底考えにくいからです。
阿部美春氏の記事では、TP-707Pの発売年月は
昭和41年6月とされています。

また、「週刊プレイボーイ」の創刊号(昭和41年11月15日号)には、
このTP-707Pの広告が掲載されていることも
昭和41年発売という証拠の一つといえるでしょう。

では、阿部久郎氏が書いた次の段落を引用してみましょう。

ラジオ付カセットレコーダーの導入期とステレオセットの出現
 昭和42年頃からそろそろ実用期に入ったカセットレコーダーに、一つの転機がきた。それは、テープも含めて性能の向上と、FM放送の全国への普及と相まって、今でいうエアチェック時代の幕開きである。すなわち、テープレコーダーとラジオ受信機のコンビネーションの出現であった。──中略──
 ……カセットレコーダーのメカニズムの専有面積は、オープン式のものに比べてかなり小さく、しかも、演奏時間、録再特性ともに、ひけをとらなくなってきた事情を背景に、多少オッカナビックリではあったものの、カセットレコーダーと3-Bandラジオとのコンビネーションが出現した。アイワのTPR-101がそれである。昭和43年3月のことであった。

そして、TPR-101の画像の下にはこんなキャプションが付いていました。

写真1 ラジオ付きカセットレコーダー1号機(アイワ TPR-101)

ただし、阿部久郎氏のこの記事には大きな謎があります。

それは、この文章と写真のキャプションを見ると、
TPR-101が国産初のラジカセであるのか、
それともアイワ初のラジオ付カセットレコーダーを
意味しているのか、判然としないのです。

阿部久郎氏が意図的に情報操作をしようと思ったのか否かは、今となっては分かりません。
他社の国産ラジカセの1号機のことを知らなかった可能性もありますが、
ラジカセの開発にしのぎを削っていた当時、他社の動向にも鋭く目を光らせていたはず。

厳格に「国産初のラジカセ」とこの記事で定義していないのは、
他社のラジカセの方が先に発売されていたことを
知っていないのではないかと穿った見方もできるわけです。

ですので、ここからは私の推測になりますが、
阿部久郎氏は自分の会社であるアイワをよく見せようとして、
このような表現をしたのではないかと考えられます。

この記事では様々な機種が紹介されていますが、
写真付きのはほとんどがソニーとアイワのもので、
他社のものは松下電器のR-500のみでした。
こうした点から考えても、
自社をよく見せようという意図が強く感じられます。

しかし、このような形で書かれていると、
アイワのTPR-101が国産初のラジカセである、と
錯覚してもおかしくはありません。

こうしたことから、後になってアイワのウェブサイト
(現在のものとは異なります)で国産初と書かれたり、
阿部美春氏にも同様に言及されたりして
TPR-101が国産初のラジカセである、と
勘違いした人々によってこの言説が
どんどんと補強され、
確立していった可能性が高いと思われます。

これまで分かったことをまとめると、
次のようになります。

1981年、アイワの阿部久郎氏がJAS JOURNALに
ラジカセの記事を寄稿。
TPR-101については国産初とは言明しないが、
そのように受け取れるような文章を書く

1998年頃、アイワがホームページで
TPR-101を国産初のラジカセと記載

2012年、阿部美春氏が
阿部久郎氏の記事をもとに
TPR-101を国産初のラジカセと解説

以下、Wikipediaへの記載など
誤解の連鎖……

阿部久郎氏の罠に、まんまと
はまってしまったというのが実情のようです。
阿部久郎氏は、読者に勘違いさせることを
期待していたのでしょうか。
「私は悪くない。悪いのは勘違いしたあなたたちの方だ」
といわれそうですが……。

ここで話は変わりますが、
実は、アイワに関してはもう一つ日本初について
疑問があるんですよね。
それが、日本初のステレオカセットデッキは
アイワかティアック(TEAC)か、ということです。

アイワは、TP-1009を昭和43年に発売しています。

一方、ティアックは自社のウェブサイトでA-20が国産初の
ステレオカセットテープデッキであると解説しています。
こちらも昭和43年の発売です(画像はTEACのウェブサイトより引用)。

出典:The History of Recording & Sound A-20 国産初のカセットテープデッキ

阿部美春氏は、上述の出典の中で、日本ではアイワのTP-1004、
日本コロムビアのTRC-160(ともに昭和42年発売)と続き、
A-20を「わが国における本格的なカセットデッキの第1号となった」と解説しています。
TP-1004とTRC-160はともにパワーアンプを内蔵しています。
そのため、現在では一般的な「アンプを搭載していない」という意味で、
A-20を本格的なカセットデッキの第1号としているのだと思います。

ただ、TP-1009とA-20は同じく昭和43年に発売されているので、
どちらが先か気になりますね。

時間に余裕ができたら、こちらも少し調べてみたいと思いますが……。

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